しがない錦戸担の2019年を振り返る

年の瀬に突然すみません。

今までも何度かブログとして書き残したいと思うことはあったのですが、如何せんめんどくさがりなもので行動に移しては来ませんでした。
でも今回は、自分の気持ちの整理のためにも、自分の今後のためにも、何か今の想いみたいなものを残しておきたいとようやく開設に踏み切りました。

先にお断りしておきます、超絶個人的な話しかしません。なんなら登場する団体・個人名は実在の人物等と一切関係ございませんと言いたいくらい。いや、関係はしてるんですけど。

そんなことはどうでも良くて、タイトル通りこのいろいろあった2019年を個人的に振り返りたいと思います。完全自己満です。長くて拙いです、すみません。

その前にまず、必要最低限のプロフィールだけ。

2005年春頃 関ジャニ∞沼にドボン(錦戸担)
リアルタイムではほとんど8人を見ていないくらいなのにめんどくさいほどに8人厨
2015年秋頃 ジャニーズWEST沼にドボン(重岡担)
現在に至る

以上を把握いただいていたらだいたい話は伝わるはず……! と信じて進みます。



2019年1月1日

関ジャニ∞は6人でカウントダウンコンサートに出演していた。
事実上、2018年7月15日から6人で活動していたが、契約上はこの日をもって関ジャニ∞は6人となった。どこか寂しさはあったけれど、既に6人でのライブも見ていたので、この人たちなら大丈夫だという信頼はあった。


時は遡って2018年4月15日

私たちに衝撃が走る。その数日前に一部週刊誌で報じられた内容を「そんなん嘘やん」と笑っていたのが、笑えなくなった。
まだ病気のことも私たちは知らなかった中で安田くんのいない会見。誠実すぎて、私は「なんでなん」と思っても受け入れることしかできなかった。


そして2018年7月15日

関ジャニ∞は6人で札幌ドームのステージに立っていた。
どうしてもこの初日を見届けたくて私も札幌へ飛んだ。前半は涙が止まらなかった。
それでも彼――錦戸亮は、ファンに寄り添うような言葉を掛け、自分が引っ張ると何度も言っていた。今までに見たことがない彼の姿がそこにあった。
単純に彼が頑張ろうとしている姿は頼もしくもあったし嬉しくもあった。そんなに頑張らなくてもいいよ、とは思ったけれど。

その前にすばるくん最後の関ジャムで「寂しいな」と涙を流したこと、ジャニーズWebの連載で「永遠なんてない」と綴ったこと、それらはずっと私の心の中に残っていた。


戻って2019年3月

亮ちゃんは1月から始まった月9ドラマに主演し、主題歌も関ジャニ∞が担当していた。
その発売日付近だったと思う。一部週刊誌で彼の脱退が報じられた。
今までなら「週刊誌の言うことなんてほとんど嘘」、「ありえへん」と言い切っていた。でも、この時はそう言いたいのに、そう思うのに、言えなかった。もしかしたら本当かもしれないという思いが過ぎった。
否定できないのが悔しかった。発売されたばかりの「crystal」に収録されていた「咲く、今。」を聴いて泣いた。すばるくんのことを歌っているのかと思っていたけれど、もしかしてもしかすると……考えたくもないけど考えてしまった。

その後も、もし会見するなら日曜日かと毎週メールが届くんじゃないかとビクビクした。でも、ツアーのお知らせが来て申し込みが始まっても何もなかったから、大丈夫かなって、やっぱり嘘やったんやって、ちょっと安心した。


2019年7月20日

私は十五祭の名古屋公演を観に行った。すごくすごく、楽しかった。
でもなんで最後の挨拶がVTRなのかとか違和感もあって。友人とそんな話もしながら、でもすごくいいコンサートだったねと余韻を噛み締めていた。


2019年9月1日

私は自分の部屋で泣いていた。
この3日間が終わったら……という漠然とした不安に襲われていた。そう思うなら、見つからないとしても東京ドーム公演のチケットを探すべきだったんじゃないか、いやきっとまた次がある……自分で自分に言い聞かせていた。


2019年9月3日

夕方、仕事が終わってTwitterを開いたら、8人のBOYの画像で溢れていた。私は気が動転した。なんとしてでもこの目で見たい。それに、博貴も今日の公演を観に行ってるんじゃないかと直感で思った。
もちろん開演には間に合わないし(関西在住)チケットもないから入れないのはいい。でも8人のBOYはどうしても見たい。見なきゃ後悔する。
私は駅に向かって新幹線のチケットを買った。友人たちも背中を押してくれた。新幹線の中でお弁当に入っていた唐揚げを泣きながら食べた。どうか、どうか最後じゃありませんように。

到着した東京ドーム前。BOYはお出かけ中だった。
それはTwitterで事前に把握していたので、自分が帰るまでにどうか戻ってきますようにと祈りながら待った。
結局、BOYは戻って来ず、あの場に1時間も居れなかったけど、あの空気感を味わえただけで十分だった。勝手に仕上がれのeighterの声も外まで聞こえていた。心の中で一緒に叫んで、どうか届きますようにと願った。

新幹線の終電にギリギリ駆け込んで、Twitterでコンサートの情報を待ちながら帰った。
そして最後に「15→16 to be continued」と表示されたと知り、続くんだとホッとした。
次こそは東京ドームへ会いに行こう。また次東京ドームで会おうねとリプをくださった方もいた。


2019年9月5日

これまた夕方。私は仕事終わりに仕事の買い出しで100円ショップにいた。まとまった数を注文するものだから店員さんが注文票を取りに行ってくださってる間にそれまで開いてなかったスマホをチラッと開いた。
メールが届いていた。そこで悟った。やっぱり、来てしまったか、と。
Twitterのトレンドを開けば何が起きているかは把握できた。
注文票を持って来てくださった店員さんには仕事のように対応してその場を凌いだ。
その後も予定があったけれどもう帰ろうと思った。
オタク友達以外からも連絡が来ていた。帰って静かに泣いてるうちに寝落ちていた。


2日程は実感が湧かなかった。
日曜日になって、自分の部屋でゆっくりしていて少しずつ、どういうことなのか分かってきて、でもすべては理解できていなかったように思う。


2019年9月28日

ギリギリなのは分かっていたけど、私はジャニーズの彼に最初で最後のファンレターを書くことにした。
これまでのありがとうを認めて、自己満足やけど、朝のうちに速達で出せば間に合うかなって投函した。


2019年9月30日

彼のジャニーズとして、関ジャニ∞として最後の日。
泣いても喚いてもそれが覆ることはないのだろうと分かってはいながら、泣くことしかできなかった。
「元気が出るソング」を聴きながら、「永遠」を願った彼がどうしてこの決断に至ったのかどうしても理解できなくてただただ泣いた。

そして、日付が変わる。


2019年10月1日

日付が変わった瞬間、世界が一変した。
YouTubeに公開された動画。8UPPERSのエースを思わせるスニーカー。
ああ、この人は本当に旅に出るんだ。
そう思いながらあまりのせっかちさに笑うしかなかった(笑)。

そしてお昼にはツアーやアルバムが発表されて、何の気持ちの整理もついてないままとにかく私も走り出すしかなくなった。


その後もSNSやら何やらで日々情報が出てきて、すばるくんのアルバムも発売されて、「なんやこの世界は」と目眩を覚えながらもただ走っていた。

エイトは5人で新たな挑戦をして、私たちを楽しませてくれた。自担がいないからと嫌いになんてなるわけもなくて、むしろもっともっと好きになった。

なんや、意外とこの状況を受け入れてるやんか。
そう思っていた。


2019年11月19日

亮ちゃんのライブハウスツアーの大阪公演に入った。一人でチケットを取ったのはいいものの、初めてのことに不安でいっぱいで誰か誘えば良かったと思いながら開演までの時間を過ごした。
亮ちゃんはそこにいた。ツアーTシャツにジーパン、ギター1本で、一人で真ん中に立っていた。
大好きな彼をずっと見ていられる時間は贅沢だった。でもこれがずっとこれからも続くのか? と考えると全然想像ができなかった。“ソロコンサート”に来た、くらいの気持ちにしかなれなかった。


2019年11月23日

予定を済ませて新幹線に飛び乗り、グローブ座へ向かった。ふゆパラの内博貴公演を観るために。
「大阪ロマネスク」を博貴が歌うことはもう知っていたけど、ピンクに包まれて歌う博貴を見て、ここで十五祭が完結したような気がした。


2019年11月27日

「友よ」が発売された。ぼちぼち大切な夜で、「もう脱退はやめよう」、「次は閉じよう」と話しているのを見て胸が痛くなった。そんなの聞きたくなかったし見たくなかったけど、でも見せてくれるのが関ジャニ∞なんだ、だから一緒に歩かせてもらえるんだと思った。


2019年12月27日

前日に仕事を納め、家でのんびりミュージックステーションスペシャルを見ていた。
私のもうひとつの推しグループ、ジャニーズWESTが初の東京ドーム公演をすることが発表された。
喜ばしいことだ。でも私は泣いていた。嬉し涙じゃない、悔しいのか悲しいのかよく分からない涙だった。
私は5大ドームの中で東京ドームだけまだ未経験だった。でも次は、東京ドームへ行くと決めていたのだ。彼がいるはずの、関ジャニ∞の東京ドーム公演に。
そう思ったら涙が止まらなかった。3ヶ月程訳も分からず走ってきて、初めて本当の気持ちに気付けた気がした。
やっぱり、関ジャニ∞にいる錦戸亮が好きだ。ずっと関ジャニ∞で笑っていてほしかった。
どうしてそれが叶わないんだろう。

スッキリで放送されたというインタビューを見た。
「躍りが上手いわけでも歌が上手いわけでもない」
「自分が引っ張る」と言った1年前の夏を思い出していた。これはあくまで私の想像に過ぎないけど、「引っ張れる程の何かが自分にはない」って思ったのではないか。
そんなの、彼には彼にしかない魅力がある。すばるくんの代わりなんて誰にもできない。できてたまるか。同じようにあなたの代わりも誰にもできないんだよ。
もし私の推測が正しかったとしたら、つくづく馬鹿な人だと思うけど、たぶん違うよね。

すばるくんの時と違って、本当のことが分からなくてまだまだ右往左往してるけど、それでも時間は流れていく。また走っていく。

もうすぐ、2020年がやって来る。
どんな年になるんだろう。

ただ、人生のステージの上にはいつだって全員で並んでいる。